JO-HOUSE35周年記念イベントで待望の初来日を果たした
ポルトガルの心の歌・ファドを歌う国民的歌手、アナ・モウラ。
Ana Mouraの国内盤CDをJO-HOUSEにて販売中!
ファドの女性歌手、アナ・モウラとの出会いは
2006年10月、フラメンコとファド三昧の気まま
な旅の折、ニューヨークのジャズ・プレイヤーに
紹介されて出会った。リスボン在住のジャズ・ボーカリスト、
マリア・アナドンさんにホンモノのファドを聴きたいとお願い
したところ、彼女の友達のアナ・モウラが丁度ツアーから帰って
きて、なじみのファドハウスに出演しているという。
時間が遅いけれども、アルファーマ地区のバカリャウ・デ・モーリョ
(最近になってカーザ・デ・リニャーレスに名前が変わった)
という店にとにかく出かけた。超満員であったが、
マリアがこの店のオーナーであり歌手でもあるマヌエール・パストス
に顔をきかせて何とか入れてもらった。
既にラストステージで、マリアは「今歌っているのはアマリア・
ロドリゲスの妹でセレステさんよ」と耳打ちしてくれた。
貫禄のステージが終わり、客も全員帰った後、楽屋口からハッと
する程に美しい女性と、ギターのジョルジュ・フェルナンドが現れた。
しばらく身内の人達も交えて会話しながら、
私は彼女の誠実で、謙虚で、自然な人柄に感心した。
「お寿司が好きです・・・」という言葉が耳に残った。
ファド界の重鎮、ジョルジュ・フェルナンド氏は
「現代ファド界では彼女が一番です」
と太鼓判を押していた。日本から来た音楽プロモーターのために
閉店後の店で歌ってくれるということになった。明かりが落とされ、
静寂の暗闇の中から弦の音が響き渡り、そしてそれに絡むような
魂を揺さぶるアナ・モウラの歌に一瞬にして鳥肌が立つような
感動を覚えた。まるで別人のように、まさに何者かが乗り移った
かのように歌うアナ・モウラは圧倒的なオーラを放ち、
人の心をグッと捕まえて離さなかった。
仕事柄、沢山のライブ音楽を聴いてきているが、
思わず涙をこぼしそうになるものは滅多にない。
「来年、本場の寿司をごちそうします!」と返して
今回のツアーとなった次第です。
松田豊(JO-HOUSE / S&J ASSOCIATES)
アナ・モウラのサードアルバム「サウダーデの向こうに」解説より

サードアルバム「サウダーデの向こうに」

セカンドアルバム「ファドの扉を開けて」

ファーストアルバム「あなたの胸につつまれて」
上記の3枚すべて税込み¥2625にて絶賛発売中。
店内での試聴もできます。
【ファドとアナ・モウラ】
Fadoは、ヨーロッパ最西端の地、ポルトガルの首都リスボンの
下町で生まれ、劇的な歴史の背景に歌い継がれてきた庶民の
心の歌、民族歌謡である。ヨーロッパ、アメリカで絶賛を浴びている
ファディスタ(ファドの歌い手)の新星、アナ・モウラがポルトガルから
初来日。聴き手の心を一瞬にして捕らえ、深い深い感動の世界に
誘ってくれるでしょう。ポルトガルの至宝・アマリア・ロドリゲスは
もちろん、ビリー・ホリデイ(ジャズ)、エディット・ピアフ(シャンソン)、
そして、美空ひばり・・・ジャンルを超えたスケールの大きな
ステージが繰り広げられるでしょう。
【アナ・モウラについて】
わずか25歳にして、アナ・モウラはポルトガルで歌い続け
られててきた、“失恋”“別れ”“哀しみ”“渇望”という永遠のテーマを
誰よりも詩的に、深く表現し、今日の代表的な歌い手の一人となった。
ポルトガル中部、リスボン北東のRibatejo州の州都Santaremに生まれた。
テージョ川に面したSantaremはポルトガルでも最も歴史のある街で、
かつファドの中心地の一つでもあった。ファドを愛し、
自らも歌っていた両親のもと、家族ぐるみで幼い頃からファドに
慣れ親しんでいた。若者の常で、ファド以外の音楽にも親しんではいたが、
ファドを歌うという誘惑は決して消える事はなかった。
10代の後半、地元のバンドでポップやロックを歌って
いたと時も必ず最後には一曲はファドを歌っていた。
転機は5年前のある夜。友達と一緒に伝統のファドハウスに出かけた
彼女は、狭いライブ空間の中で、歌い手、ギタリスト、そして熱狂的な
愛好者が、ポルトガルの生んだ最も偉大な音楽を崇拝している様を
目の当たりにした。衝動に駆られ「People Liked Me」を
歌った彼女はファドというものに入り込んでいく自分を感じた。
その年の暮れ、あるクリスマスのパーティーに沢山のファド歌手、
ギタリスト達が集まった。そして、再び彼女は歌ったのだが、
運命のめぐり合わせというか、聴衆の中に、有名なファド歌手、
Maria De Feがいた。アナ・モウラの歌に衝撃を受けた彼女は自分の
ファドハウスで是非歌って欲しいと申し出た。
アナ・モウラは出発点となったこの瞬間をいつも思い出すという。
「ファドハウスに出演するようになってから、私の人生は変わった。
マイクロフォンは無く、そして、とても濃密な空間で...。」
新人歌手のアナ・モウラは見習い生のように年上の実力者歌手達から
ファドの様々な、そして複雑なスタイルを学んだ。そして、まもなく
アナ・モウラはその豊かな歌唱力と美貌と、人を引きつけてしまう
持って生まれた魅力で、 リスボンのテレビや新聞に取り上げられ、
話題となっていった。音楽評論家、Migel Esteves Cardosoは、
彼女の類まれなる才能、持って生まれたプリミティブな資質、
そして努力して意図して得うる事の出来ない、
全く自然な真実というものの本質を持っている彼女を激賞した。
今や代表的な歌い手となったアナ・モウラはファドが再び人気が
出てきたことを喜んでいる。「現代を生きている人々に理解できる
歌詞で歌う新しい世代が出現してきている...。
自分達が歌えないような古いファドが幾らか残っている。
歌詞や内容が今の時代に即さなくなっているから私はそれを感じる
事は出来ない、ファドというものは感じるものだと思う。
現代の言葉で語り、その結果、私はファドに一層興味を覚えていく...。」
「アメリカのJAZZ、アルゼンチンのタンゴ、ブラジルのサンバの
ようにファドもまた、社会の底辺で働く人達から広まってきた。
そして何年もの時間を経て、底辺のるつぼで、うごめいていた音楽は
進化し、広い広い世界に主張できるようになった。ポルトガルのファド
は全ての人々の為にある!...。」 アナ・モウラは誇り高く
宣言している・・・全ての偉大な歌い手がそうだったように
アナ・モウラも又、もちろん彼のアマリア・ロドリゲスから
インスピレーションを得ている。・・・素晴らしい声を持ちながら
魂の無い歌い手、又、フィーリングがありながら声が合わない歌い手
が時々見られるがアナ・モウラは全てを備えている。
しかも素晴らしい即興の能力を持っている。
即興性はファドの伝統の表面には出ないが、大切にされてきた。
スペインのフラメンコやムーア人のイスラムのスタイルなどなど
から影響を受けてきたものだ。「Sou do Fado, Sou Fadista」
(I belong to fado, I am a Fadista) 彼女のアルバムの中でも出色の歌
であると、彼女の良き助言者でもある
共演ギタリストのジョルジュ・フェルナンドが言っている。
アメリカでリリースされたアルバムとカーネギーホールでの公演などで、
彼女は一躍国際的に名を成した。アナ・モウラは、その忙しさの中でも、
常に生き生きと力強く伝え続けてきくことを心がけている。
「私はかつて小さなファドハウスで毎日歌ってきた。
今はコンサートや旅で中々難しくなっているが、
しかし時間があればいつでもあの場所に戻ろうと思う。
時々私はそこに行かねばならない。私にはその場に行くのが必要なのである。」
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